最終更新日:2021年10月27日(水)
ブラタモリ 名古屋・熱田編
2017年に3回にわたってNHK総合「ブラタモリ」で名古屋が紹介されました。
第2弾として、2017年6月17日に「ブラタモリ #76 名古屋・熱田~尾張名古屋は 家康でもつ?~」が放送されました。
今回は「名古屋・熱田編」。第1弾「名古屋編」でタモリさんが歩いた名古屋城、城下町がある台地とその南側・熱田の繋がりを見てみましょう。
Index
◆第1弾「名古屋編」のおさらい
◆熱田台地の南側にあるモノ ~熱田神宮・熱田湊~
◆熱田神宮南側
>>その他にもタモリさんに訪れてほしい熱田神宮周辺スポットを紹介します。
◆東海道道標
途中触れていた看板はこちらです。
道標を見てみると…?
途中触れていた看板はこちらです。
道標を見てみると…?
◆七里の渡し
熱田の港の近くには、宿場町「熱田宿(宮宿)」があり、次の宿場町「桑名」まで船で結ばれていました。
家康は、洪水などの影響を受けにくい熱田の港を交易の港とすることで、経済的な発展をねらいました。
◆熱田と城を結ぶ生命線~堀川(五条橋)~
◆河岸場
五条橋から見える川岸にあるスペースは「河岸場」と呼ばれ、荷揚げ場として使われていました。
この「河岸場」で荷揚げされていたモノ。それは「木材」です。木材は木曽から来ていました。
江戸時代、名古屋は木材の巨大な集積地だったのです。
城や城下町がつくられている真っ最中の1611年、家康は木曽と木曽川を尾張藩の直轄地として与え、名古屋に木曽の材木が一手に集まるようになりました。
>>その他にもタモリさんに訪れてほしい堀川周辺スポットを紹介します。
五条橋から見える川岸にあるスペースは「河岸場」と呼ばれ、荷揚げ場として使われていました。
この「河岸場」で荷揚げされていたモノ。それは「木材」です。木材は木曽から来ていました。
江戸時代、名古屋は木材の巨大な集積地だったのです。
城や城下町がつくられている真っ最中の1611年、家康は木曽と木曽川を尾張藩の直轄地として与え、名古屋に木曽の材木が一手に集まるようになりました。
>>その他にもタモリさんに訪れてほしい堀川周辺スポットを紹介します。
◆おさらい:今回タモリさんが歩いた場所の地図
①熱田神宮 西門~南門
②七里の渡し
③五条橋(堀川)
皆さんも、家康のおかげで繁栄した名古屋のまちをブラブラしてみてはいかがでしょうか。