尾張藩・尾張徳川家の絢爛豪華な世界《三英傑のゆかりの地》 | 特集 | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」

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尾張藩・尾張徳川家の絢爛豪華な世界

尾張藩・尾張徳川家の絢爛豪華な世界《三英傑のゆかりの地》

御三家の筆頭格である尾張徳川家は、諸大名の中でも最高の格式を持つ家柄。7代藩主・宗春の時代には、8代将軍吉宗がかかげる質素倹約政策に反して、積極的な開放政策をとり、尾張に活気を取り戻しました。名古屋では、尾張徳川家に関するお宝が多数見られますよ。

華麗なる一族・尾張徳川家の至宝を探す

家光の娘・千代姫のお輿入れの品、国宝「初音の調度」

徳川美術館は、御三家筆頭の尾張徳川家に受け継がれてきた宝物の数々を所蔵し公開する美術館。所蔵品は、大名家伝来家宝のコレクションとして日本最大の規模を誇ります。「駿府御分物」と呼ばれる家康の遺品のほか、尾張徳川家歴代当主や夫人たちの遺愛品、さらに明治時代以降の収集品や寄贈品を加えて1万点あまりの大名道具・美術品のコレクションを所蔵しています。
中でも3代将軍家光の長女・千代姫が光友に嫁いだ際の婚礼調度「初音の調度」は、漆工品の最高峰というべき存在として名高い逸品。これら代々の姫君の婚礼道具を紹介する「尾張徳川家のひなまつり」は、徳川美術館を代表する大人気企画です。

徳川美術館

徳川美術館は、御三家筆頭の尾張徳川家に受け継がれてきた宝物の数々を所蔵し公開する美術館。所蔵品は、大名家伝来家宝のコレクションとして日本最大の規模を誇ります。「駿府御分物」と呼ばれる家康の遺品のほか、尾張徳川家歴代当主や夫人たちの遺愛品、さらに明治時代以降の収集品や寄贈品を加えて1万点あまりの大名道具・美術品のコレクションを所蔵しています。
中でも3代将軍家光の長女・千代姫が光友に嫁いだ際の婚礼調度「初音の調度」は、漆工品の最高峰というべき存在として名高い逸品。これら代々の姫君の婚礼道具を紹介する「尾張徳川家のひなまつり」は、徳川美術館を代表する大人気企画です。

徳川美術館
徳川美術館
徳川美術館

武家屋敷の面影を残す「徳川園の黒門」

2代藩主光友の隠居所を起源とし、尾張徳川家の邸宅となっていた約13万坪の敷地を整備改修し日本庭園として公開。江戸時代の大名庭園の流れを汲んだ池泉回遊式の日本庭園で、新緑や紅葉、牡丹や花菖蒲などが咲き、四季を楽しむ庭となっています。また、表玄関となる徳川園黒門は、尾張徳川家の邸宅の遺構。武家屋敷の面影を今に伝えています。

徳川園

2代藩主光友の隠居所を起源とし、尾張徳川家の邸宅となっていた約13万坪の敷地を整備改修し日本庭園として公開。江戸時代の大名庭園の流れを汲んだ池泉回遊式の日本庭園で、新緑や紅葉、牡丹や花菖蒲などが咲き、四季を楽しむ庭となっています。また、表玄関となる徳川園黒門は、尾張徳川家の邸宅の遺構。武家屋敷の面影を今に伝えています。

尾張徳川家の存在感を示す「建中寺の三門」

初代尾張藩主義直の菩提を弔うための御寺として、2代藩主徳川光友により建立。現在も約1万坪の敷地を誇る広い境内ですが実際は5万坪の広さがあったと言われています。三門(山門)は総ヒノキ造りの三間重層門の建築様式で、2階には十六羅漢が祀られています。本堂の北には、権現造の尾張徳川家霊廟(御霊屋)があります。

建中寺

初代尾張藩主義直の菩提を弔うための御寺として、2代藩主徳川光友により建立。現在も約1万坪の敷地を誇る広い境内ですが実際は5万坪の広さがあったと言われています。三門(山門)は総ヒノキ造りの三間重層門の建築様式で、2階には十六羅漢が祀られています。本堂の北には、権現造の尾張徳川家霊廟(御霊屋)があります。

尾張徳川家の祈願所として知られる「興正寺」

二代藩主光友公が自身の念持仏を寄進された正観世音菩薩(秘仏)を本尊として安置する観音堂、六代藩主継友により建立された能満堂などがあり、尾張徳川家の祈願所として知られます。毎月5日と13日には昔懐かしい縁日、21日には興正寺マルシェでにぎわいます。
八事山興正寺
八事山興正寺
八事山興正寺

義直の正室・高原院殿(春姫)の霊廟「名古屋東照宮」

家康を祀る東照宮は日光・久能山・名古屋にあります。名古屋東照宮は、初代尾張藩主・義直が名古屋城内の三の丸に創建したのがはじまり。当時は極彩色の本殿や楼門などが並んでいたと伝えられますが、空襲により焼失してしまいました。明治維新のあとに移転した現在の場所には、義直の正室・高原院殿(春姫)の霊廟が移築され社殿としています。
名古屋東照宮
名古屋東照宮
名古屋東照宮
 

受け継がれる名店の味 <尾張藩御用達の店>

河文

元禄年間に名古屋市中川区から現在の魚の棚に移転して料理屋を開業。名古屋では最も古い歴史を持つ料亭で、尾張徳川家をはじめとする時代の重鎮に愛されました。名古屋城につながっているという井戸があります。
河文
河文
河文

両口屋是清

「千なり」で知られる両口屋是清は、1634年(嘉永11年)に、大阪の菓子職人・猿屋三郎右衛門がやってきて開業した老舗和菓子店。「御菓子処 両口屋是清」の表看板は、第2代藩主・光友より贈られたもので、尾張藩との深いつながりを感じます。栄店では、尾張藩に御用菓子を献上する時に使われた家紋入りの「通筥」を見ることができます。

両口屋是清 栄店

「千なり」で知られる両口屋是清は、1634年(嘉永11年)に、大阪の菓子職人・猿屋三郎右衛門がやってきて開業した老舗和菓子店。「御菓子処 両口屋是清」の表看板は、第2代藩主・光友より贈られたもので、尾張藩との深いつながりを感じます。栄店では、尾張藩に御用菓子を献上する時に使われた家紋入りの「通筥」を見ることができます。

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